【米内山陽子】私はこうして作家になったpart4
- カテゴリ:
- 米内山 陽子
- 私はこうして作家になった
一時期は演劇から遠ざかっていた時期もありました。
そして、出産を機に、私は仕事に対する向き合い方を変えました。
そこから、私の脚本家としての本格的なキャリアがスタートします。
作家になれたきっかけ
出産後、もうノーギャラの仕事はしない、と心に決めました。
家計に赤字は出さないことをルールに、必死で台本を書いてきました。
それでも、演劇にはお金も時間もかかります。
どうにかこうにか、演劇にかかるお金(取材や稽古立ち会いや本番)は演劇でもらったお金だけで賄っていました。
とても楽しかったけれど、焦っていました。
家計にプラスはできていない。
夫や息子からしたら、一銭も入れていない状態の母親が演劇に時間を費やしている状態です。
書くことをもっと「仕事」にしなければ。
子どもがいてお金がないと死にたくなっちゃいますから。
ある作品の打ち上げで、その悩みを友人の俳優にぽろっと零しました。
ただの愚痴のつもりでした。
「紹介したい人がいる」「たぶんヨナさん合うと思います」
そう言って紹介されたのが、PTA社長、ピエール杉浦氏でした。
その打ち上げの翌々日には面談し、所属が決まりました。
口に出す事って大事です。
口に出さないと、自分が何を願っているのか、誰にも、もしかしたら自分にもわからないから。
脚本家/放送作家事務所 PTAについてはこちらをご覧ください
作家になるためにはどうすればいいか(どんな努力をすればいいか)
作家になることは誰にでもできます。
何かを書き始めれば、その人はもう作家です。
だからわたしも高校生の時から作家だったと言えるかもしれません。
生計を立てられるようになるには、めちゃくちゃ時間かかりましたが!
その中で大切にしていることは、たぶんほとんどひとつだけです。
楽しむこと。
おもしろがること、と言ってもいいかもしれません。
目の前の仕事にワクワクすること。
一緒に仕事をする人を好きになること。
一人で書いていると思い詰めないこと。
そうすると、書いているものに自信や愛着が生まれますし、違う考え方にぶつかったとき、おもしろがれる気がします。
脚本は作品の中で重要なポジションではありますが、作品はチームワークで作ります。
一人じゃないって素敵なことです。
あと、まじで願望は口に出して誰かに聞いてもらうといいです。
そこへの道がボンヤリと舗装されはじめる気がします。
今のわたしの願望は、一生書き続けることです。
良い作品を、良い脚本を、良い場面を、良い一行を。
楽しんで、書き続けていきます。 脚本家/放送作家事務所 PTAについてはこちらをご覧ください