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子どもの頃からお笑いが好きでした。 
当時はお笑いブームで、テレビでもネタ番組が数多く放送されていました。
特に、小学生の時に始まったM-1グランプリには夢中になりました。

作家になろうと思ったきっかけ

漫才というものが、こんなにも面白く、奥深く、かっこいいものなのか!と
衝撃を受け、学校をサボってまで録画したM-1の映像を観ていた記憶があります。
その後、自分なりに漫才のネタを考えて学校で披露したり、M-1甲子園という大会に出場したりもしました。
 
しかし、時が経つにつれ「自分は舞台に立つ才能はないな…」と感じるようになっていきました。
ちょうど同じ頃、バナナマンさんやラーメンズさん、シティボーイズさんなどのネタを観るようになり、コントの奥深さ、特に「台本の凄さ」に夢中になりました。
そして、東京のコントを支える重要人物として、オークラさんという作家さんが存在することを知り、自分もこんな仕事をしたい!と思うようになりました。
もちろん、それ以前も放送作家という職業の存在は知っていましたが、具体的にどのような働きをする人なのかいまいち掴めないでいました。
ところが、オークラさんが脚本を担当した作品を追いかけるようになり、こんなにもクリエイティブな職業なのか、と感銘を受けて作家への憧れが強くなりました。
 
それ以来、自分なりに考えたネタをノートに書き貯めることが一つの習慣になりました。
結局、その習慣は今でも続いています。

とはいえ、素人同然で放送業界とは縁遠い生活を送っていた私が
どのようにして放送作家になったのか
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