【楢原拓】昭和末期を語り尽くす!(3)「8時だョ!全員集合」
- カテゴリ:
- 楢原 拓
- 昭和末期を語り尽くす
そんな中、志村けんさんがコロナの犠牲になってしまいました。
全員集合世代の私としては、大変ショッキングなニュースでした。
そんなわけで、久々の「昭和末期を語り尽くす!」は、「8時だョ!全員集合」について語り尽くしたいと思います。
昭和48年(1973年)生まれの私にとって、土曜8時と言えばやはり「8時だョ!全員集合」でした。
物心ついた時には志村けんさんは加藤茶さんと共にすでにザ・ドリフターズの花形で、元メンバーの荒井注さんが脱退する代わりに中途加入した、ということは随分あとになって知ったことです。
志村けんさんブレイクのきっかけとなった「東村山音頭」(1976年)の頃はまだリアルな記憶はなくて、覚えてるのは「カラスの勝手でしょ」とか「ひげダンス」(1979〜1980年)あたりからですね。
少年少女合唱隊コーナーの早口言葉なんてのもかなり印象に残ってます。
私も同世代の当時の子供たち同様に「志村うしろ!うしろ!」とかテレビに向かって言ってたと思います。
「全員集合」といえば、なんと言ってもセットの屋体崩しと回転盆(回る舞台)ですね。
「全員集合」が終了したのは昭和60年(1985年)で、その時、私は小学校6年生でしたが、その笑いのセンスなんかは随分と影響を受けたと思います。
自分の劇団でも、同じようにセットを崩したり舞台を回したり、初期の頃はそんなこといっぱいやりました。
昭和61年(1981年)に同じ土曜8時にフジテレビで「オレたちひょうきん族」が始まりました。
小学校2年生の時です。
「全員集合」(ドリフ)の作り込んだ笑いに対して、「ひょうきん族」(たけしやさんま)はアドリブ的な笑いで、土8戦争なんて言われてましたね。
当初は当たり前のように「全員集合」にチャンネルを合わせていたのが、ある時から「ひょうきん族」も選択肢に加わり、毎週、どちらを見るか悩むようになりました。
そして、年齢が上がるにつれて、だんだんと1980年代の浮かれた空気にマッチしていた「ひょうきん族」に傾いていったように記憶しています。実際、世間的にも昭和59年(1984年)には「ひょうきん族」の平均視聴率が「全員集合」を上回るようになったということです。
こうして番組開始から16年、昭和60年(1985年)に「8時だョ!全員集合」は幕を閉じます。
この年は、フジテレビのバラエティ番組「夕やけニャンニャン」が放送を開始し、番組から生まれた素人アイドルグループ・おニャン子クラブが人気を博します。玄人から素人の時代へ、作り込んで力の入ったものから軽く力の抜けたものへ、世の中全体の価値観が移り変わっていく、まさに象徴的な出来事が「8時だョ!全員集合」の終焉だったと思います。
思えば、小学生の時に土8戦争の最中にいた私ら団塊ジュニアは、「全員集合」と「ひょうきん族」、両方の洗礼を受けて育った世代なわけで、なんだかとってもお得な感じがしています。
それにしても、あんなコントを毎週毎週、しかも生放送で16年間も作り続けた「全員集合」、そしてザ・ドリフターズというのはホント、スゴイと思います。まさに伝説の番組、グループですね。
志村けんさんのご冥福をお祈りします。
物心ついた時には志村けんさんは加藤茶さんと共にすでにザ・ドリフターズの花形で、元メンバーの荒井注さんが脱退する代わりに中途加入した、ということは随分あとになって知ったことです。
志村けんさんブレイクのきっかけとなった「東村山音頭」(1976年)の頃はまだリアルな記憶はなくて、覚えてるのは「カラスの勝手でしょ」とか「ひげダンス」(1979〜1980年)あたりからですね。
少年少女合唱隊コーナーの早口言葉なんてのもかなり印象に残ってます。
私も同世代の当時の子供たち同様に「志村うしろ!うしろ!」とかテレビに向かって言ってたと思います。
「全員集合」といえば、なんと言ってもセットの屋体崩しと回転盆(回る舞台)ですね。
「全員集合」が終了したのは昭和60年(1985年)で、その時、私は小学校6年生でしたが、その笑いのセンスなんかは随分と影響を受けたと思います。
自分の劇団でも、同じようにセットを崩したり舞台を回したり、初期の頃はそんなこといっぱいやりました。
昭和61年(1981年)に同じ土曜8時にフジテレビで「オレたちひょうきん族」が始まりました。
小学校2年生の時です。
「全員集合」(ドリフ)の作り込んだ笑いに対して、「ひょうきん族」(たけしやさんま)はアドリブ的な笑いで、土8戦争なんて言われてましたね。
当初は当たり前のように「全員集合」にチャンネルを合わせていたのが、ある時から「ひょうきん族」も選択肢に加わり、毎週、どちらを見るか悩むようになりました。
そして、年齢が上がるにつれて、だんだんと1980年代の浮かれた空気にマッチしていた「ひょうきん族」に傾いていったように記憶しています。実際、世間的にも昭和59年(1984年)には「ひょうきん族」の平均視聴率が「全員集合」を上回るようになったということです。
こうして番組開始から16年、昭和60年(1985年)に「8時だョ!全員集合」は幕を閉じます。
この年は、フジテレビのバラエティ番組「夕やけニャンニャン」が放送を開始し、番組から生まれた素人アイドルグループ・おニャン子クラブが人気を博します。玄人から素人の時代へ、作り込んで力の入ったものから軽く力の抜けたものへ、世の中全体の価値観が移り変わっていく、まさに象徴的な出来事が「8時だョ!全員集合」の終焉だったと思います。
思えば、小学生の時に土8戦争の最中にいた私ら団塊ジュニアは、「全員集合」と「ひょうきん族」、両方の洗礼を受けて育った世代なわけで、なんだかとってもお得な感じがしています。
それにしても、あんなコントを毎週毎週、しかも生放送で16年間も作り続けた「全員集合」、そしてザ・ドリフターズというのはホント、スゴイと思います。まさに伝説の番組、グループですね。
志村けんさんのご冥福をお祈りします。
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。