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「将来は広告会社で働きたい」
そう考えた私は、幸運なことに夢を叶えることができました。
その後の激務の中で得た気づきと、脚本家という職業に意識が向いていくまでのお話です。 

東大に行こう

高三の4月から1日15時間ほど受験勉強をして、(天才型ではないので)勉強量でなんとかギリギリ滑り込むタイプの受験でした。

入学して以降、色々な場面で「東大生(東大卒)」と括られることがありますが、ひと口に東大生と言っても様々です。今は東大を冠したクイズ番組があったり、メディアは東大生をどう扱いたいのだろうとたまに不思議な気持ちになりますが、「あくまで受験勉強だけは得意だったという属性で括られた、あとは個性も境遇もバラバラな若者」というのが正確じゃないかなと思います。

演劇や社会学を学んだ大学時代

個人的には、大学時代はとにかく毎日必死でした。
シェイクスピアなどの英語劇をサークルでやったり、難しい授業に食らいつかなければならなかったり。
大学での授業は、つまんないなあと思っていた科目でも、ふとハマる沼のようなポイントがあって、アカデミックの素敵さと難しさにぶち当たることが多かった記憶があります。
社会学という学問をかじった程度ですが、そこで学んだ、様々なアプローチで社会を俯瞰し解体する思考回路は、何の仕事をするときでも念頭に置くものとなっています。

また、部活でフィールドホッケーという競技を4年間やっていました。
(2020年のオリンピックに向けて盛り上がっている競技です。ホッケーは!面白いです!!!)
マイナースポーツゆえ、部員集めに苦心して。
そこでプロモーションの技術を自主的に学びました。
イベントの立案から、どうKPIを設定し達成するか、認知してもらってから行動をどう起こすか、など
独学程度ではありますが、多くのことを学んだと思っています。
朝4時に起きてコンビニでバイトし、授業に行ってからグラウンドで部活する、あるいはそこから徹夜で演劇の衣装を縫う…といった、体力に任せた生活だったように思い出されます。

広告代理店の新入社員時代

そうして虎視眈々と狙いをすまし、広告会社の入社面接をくぐり抜けました。
高校生の時からなので、7年越しとかです。
すごく嬉しかった…のですが、面接時にも内定後にも希望を伝えていたものの、CMを制作する部署には配属されず、プロモーションを企画・制作する部署に配属されました。
配属にはあらゆる事情が交錯していると後に聞きましたが、そんなこと新入社員は知ったこっちゃない。(社会人あるあるofあるある)置かれた場所でどう頑張ればいいのか、ずっと悩んでもがく日々でした。
激務でもありました。
広告代理店というと華やかなイメージがあるかもしませんが、実際はイベントの企画書を作るところから、現場に立つところまで担当します。
地道で地味な作業がぷよぷよのように無限に落ちてくる感覚でした。
経験を積んで慣れてくれば手を抜く技術も覚えるでしょうが、私は今まで真面目に真摯にやることしか知らなかった「効率の悪いパワータイプ」です。
仕事しすぎて熱が1ヶ月ずっと下がらなかったこともありました。
でも会社を休むことはなかったのだから、何か見えない麻酔でも自分に打っていたのだと思います。

ハードワークと模索の末に

私は運が良かったのでギリギリ持ちこたえました。
しかし、心に麻酔を打つほど無理をするのはもうやめようと思う出来事が起こります。
詳しくはここには記しませんが、それによって今までの自分も大きく揺らぐことになりました。
その自分を見直そうと思った時期は、模索の末に、アニメなどのコンテンツ関連のプロモーション企画という得意分野が出来はじめていた時期でもあったのです。
そして私は考え始めます、自分が本当にやりたいことは広告表現そのものではなく、「お話を組むこと」かもしれない、と。

part3へ続く