【杉浦理史】私はこうして作家になった2/4
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私は大学を卒業しても、劇団に所属して俳優を続けていました。
劇団にはドラマや映画で活躍している俳優の山中崇くんがいました。
ムロツヨシさんや吉田羊さんとは他劇団で共演しました。
俳優生活、改め……、バイト生活を送った20代
俳優事務所に所属し、舞台だけではなくテレビや映画にもちょくちょく出演していたんですが、俳優としての年収は100万円くらい…。
もちろん、バイトをしないと生活できません、新薬の治験、ただ愚痴を聞く『愚痴聞き屋』、客が一人も来ない漫画喫茶など、ちょっと話せるバイトをたくさんやっていました。
※俳優時代の私。後ろにいるおかっぱです。
舞台で主演が決定!しかし……
29歳の時、俳優としてのチャンスが訪れました。
ラーメンズ片桐仁さんが出演する舞台に、主役として出演することが決まったんです。
全国を回って、未だかつて経験したことがないほど多くの動員数。
そしてこの時、私はある決断をしました。
「もうこれで俳優は辞めよう」
20代後半から、「人が書いたものを演じる」とか「誰かに演出される」いうことに興味が薄れていくのを感じていました。
だから、上手くならなかったし、劇団で演劇をやり始めた頃のようなアドレナリンは出ていませんでした。
そして、放送作家への道が開く…
「NHKで新しい番組が始まるらしい」
俳優を辞めてすぐ、知り合いからそんな噂を耳にしました。
それには放送作家が必要で、小劇場の少々変わった発想を持った作家たちが“試されて”いるらしい…。
番組のタイトルは「シャキーン!」。
番組を立ち上げたNHKのディレクターもプロデューサーも、とりあえず枠は取れたけどどうして行くべきか……、という感じでした。
私は知り合いからプロデューサーを紹介してもらい、気合いを入れてコーナー企画を10個持って行きました。
「シャキーン!」というタイトルなんだから、子どもにシャキーン!としてもらえばいいということで、一つのものも見方を変えれば色々あることを感じさせられるような、ハッとするコーナーを考えました。
つまり、劇団の時に私が百本ノックのように散々やっていた思考で、はっきり言って得意な考え方だったのです。
結果10個のうち8個が採用になり、番組の放送作家として採用されてしまいました。
のちに、立ち上げたプロデューサーに「ピエールくんのおかげでこの番組がどういう番組なのかわかった」と言われた時は本当に嬉しかった。
「シャキーン!」ではコントを書く脚本力、クイズ考案力、コーナー企画力、作詞力、などなど放送作家に必要なことが全てと言っていいほど詰まっていました。
なので、放送作家としての基本をこの番組に教えてもらったように思えます。
放送作家になるための門は狭いですが、一旦入ってしまえば中は広い。
多くのプロデューサーやテレビ制作会社の方と知り合いになり、頼まれてもないのに企画書やコーナー案を持っていくなどアピールしました。
NHKのラジオ、関ジャニ∞のバラエティ番組や、ハロプロのライブなど、ジャンルを問わず多い時には同時に12本のレギュラーを持たせてもらえるようになりました。
「天才てれびくん」にも放送作家として参加しました。
この番組の中で、声優になりたい中学生を全国から募集し、オーディションを行うという企画を立ち上げました。
実はこの企画が、その後の作家人生を変えるきっかけになったのです。
(※私が原作を書いた放送作家漫画もありますので、ぜひ読んでみてください)