【寺西南都】私はこうして作家になったpart1
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- 寺西 南都
- 私はこうして作家になった
一般的に作家という職業の方は
特殊な能力や経歴を持っている方が多いのですが
私自身はとても平凡な人間です。
そんな私がなぜ作家として活動できるまでに至ったのか
この連載でその経緯をご紹介させていただきます。
自己紹介
私、寺西南都という人間は—
一言でいうと、ものすごく平凡である。
サラリーマンの家庭に生まれ、なんの不自由もなく育てられた。
どん底を味わったこともなければ、賞賛を浴び絶頂を体験したこともない。
高い学歴も、変わった職歴があるわけではない。
はたまたコンクールで賞をとった経歴もない。
劇団だって主宰していないし、漫画だって書かないし、誰よりも秀でた才能があるわけでもない。特筆すべき点はなにもないのだ。
そんな私がなぜ、ライターで生計をたてることができているのか。
自分でも謎だ。
そこで、このコラムを書くにあたり、「作家になる前ってなにしてたっけ?」と数年前の手帳を広げてみた。
「ふむふむ、週3で合コンね……って、週3で合コン!? どんだけ暇やねん、自分」とツッコミながら過去を振り返っていると、ある結論に至る。
「もしかして、婚活してたから、ライターになれたんじゃね!?」
ここからはその経緯を詳しく説明しきていきたい。
「こんな奴でもライターとして食っているのか」と思って読んでいただければ幸いである。
作家になる前は
大学卒業後、六本木でとある事務の仕事をしていた。
そこで7歳年上の西麻布の高級マンションで一人暮らしをする、お姉さまと出会う。
真冬でも生足にルブタンのピンヒール。
手入れされたツヤのいい長い巻き髪。
右手にアメックスのプラチナカード。
右手にアメックスのプラチナカード。
鮮やかな色合いの上質の服に身を包み、ブランドバッグを手に歩く。
“THE港区お姉さま”であった。
某アイドルオタクで垢抜けないイモだった私とは住む世界が違った。
だが、彼女の常連のクラブに私の推しているグループのメンバーがよくいる。と言われ、私は光の速さで食いついた。
そして、超イモ女が西麻布のクラブデビューを果たしたのである。
結果は……。
気づいたら、金土は六本木の街に繰り出し、朝方まで飲んでは二日酔いで麻布ラーメンでとんこつラーメンを食し、お姉さまの飼う極小プードルを抱きながら就寝……という生活を送っていた。
なぜ、こんな話を長々とするのかというと、婚活のルーツは彼女にあるからだ。
「目立たないとつまんないじゃん!」
私は彼女からおとなしいのは損だと教わった。
とにかく地味だった私も月日が経つうちに、派手になっていく。
布の面積が少ない洋服(もはや下着)、派手なメイク、ピンヒール、不揃いな巻き髪を振りかざし、臆することなく歩いていた。
きっとご近所さんは私のことを、「夜のお仕事の人か?」と思っていただろう。
とにかく自分が自分ではないようで楽しかった。
たくさんの人と出会った。男も女も。そして色んな世界を覗いた。
でも、いつだって主役は彼女だった。
私はそんな彼女のそばに居られるのが誇らしい。
それでいて、ちょっと羨ましかった……。
ある日、そんな憧れの彼女から言われた。
「いつまでもこんなことばかりしていられないよね、私たち……」
私たちの年齢差は7つ。妙齢の彼女は結婚がしたかったのだ。
「なっちゃんは私みたいに30すぎて独身でいちゃだめだよ。24歳くらいで出会った素敵な男と、20代のうちに結婚するんだよ」
刹那的な恋愛をする彼女は、私にとってはドラマのヒロインのように見えた。
でも、ドラマのヒロインというのは悩み苦しむから魅力的なのだ。
そんな彼女の気持ちを理解するには、私は未熟すぎた。
こうして私は彼女から言われた言葉を胸に、六本木に別れを告げた。
「なるほど……結婚か。じゃあ婚活しないとな」(←鵜呑みにしすぎ)そんなことを思いながら。
それから私は婚活を始め、人生の迷路に迷い込むこととなるのだ。
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