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現在、脚本業や舞台手話通訳、手話指導などを行なっている私が
どのような経緯でこの仕事を始めるに至ったのか。
まずは、私が作家になる前、学生時代の原体験からお話させてください。

作家になる前は

広島県で生まれ、10才まで東京で育ち、その後広島へ越しました。
小中高、周りに一人も友達が居ませんでした。
東京時代はクラスメイトに「お前の親、耳が聞こえないから遊んじゃだめだって」と遠巻きにされ、広島時代は転校初日に担任教師から「東京」というあだ名をつけられ、がんばって方言に馴染もうとして喋るとからかわれ、徹底的にこき下ろされました。
逃げ場のない片田舎で「なんとか周りの人間を見返したい」そんな欲望でギラギラしていた子どもでした。
14才の時、家族ごと首都圏へ戻ってきました。
もう、学校に居場所を求めるのは諦めていました。
その時に出会ったのが、当時たくさん上演されていた和製ファミリーミュージカルのオーディションでした。
父がやっている演劇に仄かな憧れを抱いていたわたしは、迷わずそのオーディションを受けました。
そう、わたしは俳優になりたかったのです。
14才はまだ子役扱い。わたしは子役のオーディションに参加しました。
まわりにはアニーに出演経験があったり、TVに出演経験のある歴戦の先輩子役(年下)ばかり。
完全アウェイです。
ここでダメでもどうでもいいや。
逆に腹が据わったわたしは、14年間たまりにたまった自分の中のドグラマグラを審査員にぶちまけました。
 
結果、無事に合格。
ファミリーミュージカルの子役として、キャリアをスタートさせました。
学校が終わった後は稽古に行き、夏休みは地方を回る日々が始まります。
最早、学校に居場所を求めてはいませんでした。
優しくて変な大人たちと、大人びた子どもたちと、舞台を作ることはとても楽しいことでした。
しかし、早々に壁にぶち当たります。
 
ミュージカルはお芝居だけではありません。歌うし、踊ります。
下手すぎもせず上手くもない歌。
踊れていないダンス。
「向いていないんじゃないか……」
悩みながら高校に入学し、演劇部に入りました。
相変わらず友達はいません。
高校演劇の大会で「生徒創作」の作品に出会いました。

part3へつづきます…
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