【ブラジリィー・アン・山田】私はこうして作家になったpart3
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元々、俳優として活動していた私が、
その後、作家として成長したと実感するきっかけは3つあります。
作家になる前は
1つは、主宰する劇団ブラジルの第3回公演『ロマンティック海岸/科学ノトリコ』で、
生まれて初めて『明日も見にきます!』とお客さんに言われたのがきっかけで、
作家として俺は才能があるんだ!と勘違いしました。
ありがとう、あの時のお客さん。
生まれて初めて『明日も見にきます!』とお客さんに言われたのがきっかけで、
作家として俺は才能があるんだ!と勘違いしました。
ありがとう、あの時のお客さん。
2つ目は、同じく劇団ブラジルの『恋人たち』という作品で、
観客席は大爆笑に包まれたかと思ったら、一瞬にしてシーンと静まり、
観客の感情のうねりが掌で踊っているような快感を得ました
(これは俳優の力によるものが大きいのですが)。
ありがとう、あの作品に出演してくれた、櫻井さん、桑原、辰巳、中川くん、本井さん、瀧川くん、ミギーちゃん、ザネリ。
観客席は大爆笑に包まれたかと思ったら、一瞬にしてシーンと静まり、
観客の感情のうねりが掌で踊っているような快感を得ました
(これは俳優の力によるものが大きいのですが)。
ありがとう、あの作品に出演してくれた、櫻井さん、桑原、辰巳、中川くん、本井さん、瀧川くん、ミギーちゃん、ザネリ。
3つ目は、娘が生まれた年、
今後、バイト生活をしながらの劇団活動を続けるのは難しいと悩んでいたら、
飲み会で知り合った業界人がずっと書きたかった大好きな『世にも奇妙な物語』のPで(のちにAPだったことが判明しますが)
「書きます書きます!絶対書きます!」と食らいついて、
ものすごい量のネタ出しをして、なんとか『未来同窓会』が成立しました。
20分の短編なのに、17、8稿書いた記憶があります。これはもう異常事態です。
すべては生まれてくる娘のためでした。
ありがとう、当時APだった後藤さん。そして、娘よ。
今後、バイト生活をしながらの劇団活動を続けるのは難しいと悩んでいたら、
飲み会で知り合った業界人がずっと書きたかった大好きな『世にも奇妙な物語』のPで(のちにAPだったことが判明しますが)
「書きます書きます!絶対書きます!」と食らいついて、
ものすごい量のネタ出しをして、なんとか『未来同窓会』が成立しました。
20分の短編なのに、17、8稿書いた記憶があります。これはもう異常事態です。
すべては生まれてくる娘のためでした。
ありがとう、当時APだった後藤さん。そして、娘よ。
part4へつづきます…