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前回に引き続き、『ユリイカ2019年11月臨時増刊号 総特集=日本のアイドル』
を読んだ上で、アイドルとしてのビートルズをつらつら(相当だらだら)書いていきたいと思います。
前編ではアイドルとしてのビートルズが、ジャニーズをはじめとする現在の男性アイドルとどれだけ類似性を持っているかを、具体例をもとに書き出しましたが、今回はユリイカで提起されている議論を紹介しながら書いていければと思います。
寄稿の中で、Kakin Oksana氏は海外の視点から見たジャニーズアイドルファンの行動を、インタビューなどを通じて論じています。キーワードとなっているのは「未熟さ」です。寄稿の中で(Kindle版位置No.1892等)、ジャニーズアイドルのファン行動のひとつの特徴を、「未熟さを愛でること」とし、まだアイドルとしての技術が成熟していない少年を、母親のような視点で愛することが「推す」ことの一つの心理ではないかと推察しています。

同じくユリイカ内の対談にて、足立伊織氏は「専門化という成熟をへて卒業を迎えるという時間的な物語がアイドルのひとつのモデル」とし、そういった「卒業」モデルをジャニーズは欠いていると指摘しています。(Kindle版位置No.2055)

海外から見た視点として、Oksana氏は、日本人は「古来から未熟さを愛でる文化」を持つと結論づけています。相撲の若手力士の取組や歌舞伎の若手俳優公演などが文中で挙がっていますが、私は甲子園が真っ先に浮かびました。甲子園も、チームや個人の出場に至るまでのドラマを消費するエンタメでもあります。それゆえ、努力は儚く美しく、それを応援する学校のチアやマネージャー、出場できないベンチメンバーまでもがメディアにクローズアップされる。完成されたエンタメを見るのであれば、そこから優秀な者だけが選ばれたプロ野球だけでいいはずです。しかし、日本でこれほどまでに甲子園が愛されているのは、Oksana氏が挙げたように、未熟さを愛でる文化が根付いている一つの証拠になり得ます。

しかし、本当にこの「未熟さを愛でる」文化は日本にしかない独自のものなのでしょうか。
少年少女に対する表象は、間違いなく日本特有の発達をして来ました。少女アイドルやアニメが隆盛を極めたのも、ジャニーズが戦後エンタメを語るのに外せないのも、日本という国または国民意識として「少年少女」のマインドでいる(=成熟していない)ことだと、村上隆氏などがプロデュースした「Little Boy」展(ニューヨーク、2005年)では主張されていました。(※1)


上記文献を読んで納得すると同時に、ビートルズに類似性を感じるからこそ、疑問が浮かびました。
本当にその文化は日本だけのものなのだろうか。日本や日本人という国家性・国民性から来るものなのだろうかと。

前半の記事でも書いたように、ビートルズはライブツアーを行なっていた時期(1966年)までをアイドル時期と規定できると考えており、公式でも(映画『Eight Days A Week』)等も同じような見解を示しています。

その後のビートルズは、スタジオレコーディングを中心にアーティストとして成熟していき、解散の道を辿ります。
上に挙げた足立氏の対談内での時系列で捉えると「成熟」でしょう。実際、ビートルズ本人たちは「Hello, Goodbye」の中で自分たちが着ていた詰襟スーツのアイドル衣装をセルフパロディのような形で着ています。表に出なくなったビートルズのファンサービスの一貫とも取れますが、多くの人たちはこのPVを見て、彼らはアイドルの時期を「卒業した(=Goodbyeした)」のだと感じるはずです。

前回記事でも書いたように、アイドル期のビートルズパフォーマンスに求められたのは「ライブ演奏技術」よりも「ファンサ」だったし(ハモる時にお互い近かったり首を振ったりするとキャーという歓声があがるのが確認できます)、大きな箱を埋めてより多くの女の子を喜ばせることでした。
(アルバムレコーディングとは別の話です)

楽屋の「わちゃわちゃ」しているエピソードや写真が多く残されているし、インタビュアーも「みんなでツアー中何した?」みたいなことを聞いて4人が仲良くツッコミ合いながら答えているのを見ると、今の男性アイドルと何ら求められているものは変わらないように見えます。

実際にビートルズの演奏が「未熟」であったらデビューは出来ていないと思いますし、現在に至るまで、ジョンとポールのコンビ・レノン=マッカートニーは音楽史に語られるソングライターとして扱われています。その実力を持っていても、当時アメリカのシェア・スタジアムを埋められたのは女の子たちもいたからだったわけですから、商法として、その少年らしさが役に立っていたことは間違いないでしょう。では、少年らしさとは何だったのでしょうか。


アイドル期の間、ビートルズたちはずっと「少年たち」のままで、ファンの女の子はビートルズを応援している時は「応援する主体」でいられたのだと思います。「ジャニー喜多川という少女」という寄稿の中で、トモコ氏は「ジャニーズタレントを見ている時、少女たちにはセクハラと性的視線から解放される。それは同時に少女たちが性的視線を持ち、性的消費者になる瞬間でもある。」(Kindle版位置No.2559)と主張していますが、彼らのマネージャーでありプロデューサーであったブライアン・エプスタイン氏が同性愛者であったとされることは、全くの偶然なのでしょうか。

そもそも個人的な性的趣向をクローズアップしたり否定することもしたくないですし、男性でも女性でもセクハラはあってはなりません。しかし、ビートルズが商業的にアイドルとして「少女たち」の熱烈的視線を浴びたのは、「少年」でいさせようとプロデュースしたエプスタイン氏の少女側からの視線が的を得ていたからだとも推測できないでしょうか。

若い女性をターゲット顧客にして真剣に、本気のクオリティで相手にしたエンタメが1960年代にどれだけあったのか。アイドル期のビートルズは、実際のところどれだけ女遊びしていようが、もしかしたら内心こんな曲なんてアホらしいと思っていようが、「I wanna hold your hand」を勝負のシングルにしたし、テレビでは「Close your eyes and I kiss you tomorrow I miss you」と楽しそうにパフォーマンスしてアメリカ中のお茶の間を掴みました。

男同士で「わちゃわちゃ」しつつ、ファンに「好きだよ」と言ってくれる存在は、女子にとって無害なファンタジーであり、肯定の場所になっている。そのことが日常の癒しと表現されたり、推す行為の原動力になる。そこには、非常に個人的な感情である「好き」だけを拠り所に、他人に夢を託せるビジネスが成り立っているのです。複数の寄稿内でも言及されていたように、そこには既存のジェンダーを撹乱する装置がいくつも仕掛けてあり、女子はその中で意図的に、または無自覚に「遊ぶ」のだと思います。

その疑似恋愛がファンタジーであることは分かっていても、ビートルズの目標自体はファンタジーではなく、実際に続々と叶っていきました。ファンは、世界に進出していくビートルズに恋をして、夢を乗せて応援したのだと思います。彼らが売れていない時に口にしていたのは、「なあみんな、僕らが目指すのは何?」「No.1さ、ジョニー!」という言説。この「てっぺんをとる」という意図の言葉はデビュー前や若手のアイドルが繰り返し繰り返し語るものとなっています。(※2)

「てっぺんにのぼりつめようとする」過程、そして完成しない振る舞いが「少年らしさ」と「未熟さ」であり、そこには消費者である女子たちが主体となれる場所がありました。
男性が女性を「愛し、守る」というヘテロセクシャルなジェンダーロールを再生産する側面も否定しませんが、一方で女性ファンが「推して、一緒に夢を見る」平等の地平線が広がる。

ビートルズを男性アイドルと重ねて見えてくるのは、ファンタジー的な共犯関係であり、現実世界の解放への可能性でもある。私はそう思っています。

以上のことから、私はビートルズが「アイドル」として世界に売れた結果がある事実から、西洋にも「少年」をエンタメとして消費する文化はあるのだと思っています。
実際近年でもOne Directionは似たような売り出し方と消費のされ方、「成熟」モデルを辿った例ではないでしょうか。

近年はSNSの発達により、アイドルとファンの距離感も変わってきました。いくらでもメッセージを送受信できるからこそ、自分も、古今東西のアイドルを愛するいちファンとしても書き手としても、尚更気をつけなければならないことが多いと思います。嘘は簡単に、子ども騙しは子どもにも見破られてしまう時代です。ヤラセはどんどん炎上していっています。その分、昔ちゃんと相手にしていなかった「女子ども」も作り手・演じ手のてっぺんに行こうとする本気はちゃんと受け取ります。変換すると、どれだけアイドルというファンタジーを演じ切るかという誠意が、受け手に見抜かれる時代なのだと思っています。

売り出し時にアイドルだったビートルズが、実力でバンドとしても、ポップカルチャーのアイコンとしても、ジェンダーとしても世界を動かしたことは、今後活躍するアイドルにとっても希望だと信じたい、信じて夢を見続けたいと思うのです。



☆今日のフレーズ

Well she was just seventeen
You know what I mean

  (I Saw Her Standing There / The Beatles)

【そうさ、彼女はちょうど17歳。言ってることわかるだろ?】


記念すべきビートルズのファールとアルバム「Please Please Me」1曲目の最初の歌詞です。
青春の全てを2行に収めたと言っても過言ではない神フレーズ。

全部の歌詞が英会話で非常によく使われる実用英語です。
Well はそのままの意味だと「Very Well」など「良い」といった意味で使われますが、単体で「そう」「ええと」「Well, well, well…(まあまあまあ皆さん…)」といった会話のタメに使われたりします。
日本語で一番使い方が近いのは「ねえ」とかかな…。

You know what I mean
はイギリス人が非常〜〜〜〜によく使うフレーズ。オアシスのギャラガー兄弟とか、10秒に1回は使うフレーズです。これは、
(Do)you know what I mean?
のDoの省略です。ゆえに文法だけ知っている日本人、いきなりつまずくポイント。
現地の人々はDoを略しがちです。でも、これって日本語に置き換えたら分かることで、
「明日のご飯カレー?」って質問する文章は文法だけで言ったら明日のご飯はカレーです、平叙文。でも、カレー?って語尾だったり「?」で疑問の意味を足すだけで私たちは疑問文だと分かりますよね。それと同じです。「あなたは私の言ってることが分かりますか?」からカジュアルな表現に変わり、「言ってること分かるでしょ?」というところかなと思います。



(※1)Little Boy: The Arts of Japan’s Exploding Subculture(Yale University Press、2005)
(※2)ビートルズ・アンソロジー (リットーミュージック、2000) P.68