【ブラジリィー・アン・山田】明日から使えるプロレス名言集#3〜船木誠勝〜
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「明日からまた、生きるぞ!」
船木誠勝がバス・ルッテンに顔面をボコボコにされて敗れた後、マイクで叫んだ魂の名言。
船木誠勝といえば、
ハイブリッドボディです。
当時のプロレスラーは程よく脂肪が乗っている感じが良しとされていたのですが、ギリギリまで脂肪を落とした肉体改造がかっこよくて、話題になりました。
船木は15歳で新日本プロレスでデビュー。
15歳というから、中学卒業後、すぐに入門したわけです。
先輩にはライガーさんの中身や闘魂三銃士がいて、
猪木さんもまだ道場で練習していた頃なので、すごい人生です。
船木はデビューして、骨法という武術を学んでいました。
こっぽう?
聞いたことない?
これです。
どーん!
麻原彰晃ではありません。堀辺正史です。
船木は骨法から取り入れた掌底(張り手のように手をパーのように開いた状態で、パンチのようにストレートで相手の顔面に打ち込む)を得意技とし、UWF時代には忖度しない戦いぶりで、あの髙田延彦をボコボコにし、KO勝ち寸前まで追い込みました。
既存のプロレスの概念に染まらない、新人類でクールな船木が、
どうして
「明日からまた、生きるぞ!」
と叫んだのか?
ときは1996年9月7日、今はなき東京ベイNKホール。
パンクラスのエース・船木誠勝は、キング・オブ・パンクラス王者のバス・ルッテンに挑んだ。
その3年前、パンクラスは同じNKホールにて旗揚げする。
その時、世間を震撼させたのが“秒殺”だ。
通常プロレスの試合は短くても5分。長ければ、20分を超える試合も多い。格闘技路線だったUWFでも試合時間は10分を超えるのが通常だ。
しかし、パンクラスはさらにその常識を覆した。旗揚げ戦のほとんどの試合が2分か3分で終わった。
つまり、秒で試合が決まる=秒殺が話題になり、パンクラスは一気にプロレス界のニューウェーブとなる。
これもまた既存の概念にとらわれない船木ならではんお考え方だったのではないでしょうか?
そんなパンクラスのエース・船木誠勝。
彼はエースでありながらも、パンクラスのチャンピオンであるキング・オブ・パンクラスのタイトルを一度も獲得していない。
そんな彼がチャンピオンに挑む大一番。
場所は、あの伝説の旗揚げ戦があった東京ベイNKホールだ。
バス・ルッテンは元キックボクサー。総合格闘技に転身して、2年。頭角を現し、当時の外国人エース・フランク・シャムロックに王座統一戦で勝利し、キング・オブ・パンクラス王者になる。
船木は自らの得意技である掌底で顔面をボコボコにされる。膝蹴りを打ち込まれ、倒れればグラウンドで、顔面への掌底(これがエグい!)。それでも何度も立ち上がるが、圧倒的パワーの前にKO負け。
期待されたエースがやっとチャンピオンになる。
観客はその姿を見たくて、会場まで足を運んだのに、船木は負けてしまった。
ここ一番で負けてしまった。客席はどんよりと落ち込む。
試合後、船木はボコボコになった顔でマイクを掴んで、叫んだ。
クールな船木らしからぬ言葉だった。
その言葉に胸が熱くなった。
みなさんもここ一番で大事な試合を決められなかったことがあるでしょう。
仕事に恋にいろいろ決めなければならない勝負があったはずです。
しかし、思いは叶わず、ボコボコに傷だらけになった時、
鏡を見ると、あの時の船木誠勝の顔があります。
そして、心の中で叫ぶのです。
そう、俺たちには明日がある。
今日が終われば、明日がある。
明日になれば、またその明日がある。
希望は終わらない。
そんな希望にまつわる名言でした。
最後に、勝利の喜びをあらわすルッテンジャンプ。
試合後にこんな元気な姿見せられたら、相手も落ち込むわ。